长山孔寅•雅室聚贤图

长山孔寅(1765年9月27日-1849年11月11日)是在日本江户时代后期活动的四条派画家、狂歌师。通称源七(郎)后红园。字是子亮。别号是五岭、牧斋。狂歌名是三条茂佐彦。

略传

出身于出羽国秋田。关于秋田的某个地方,有仙北郡西木村西明寺小山田字中留、仙北郡西仙北町土川字小杉山、仙北角馆町3种说法。传说中,12岁时在角馆的酒店久田屋当了学徒,暂时被寄放在报身寺,之后在秋田的那波绸缎店当了佣工。20代前半通过久保田藩藩的藩儒村濑26674亭进京拜师吴春(古画备考)。京都时代的作品虽然很少,但经常和老师一起合作,在其庇护下努力修行。

享和元年(1801年)到文化3年(1806年)之间来阪,之后以大阪为中心活跃。在第二年的“浪华画人组合三幅对”和画部的排名中,继中井蓝江之后第二次被刊登,在同14年(1817年)左右的“画师相扑见立”中,被列为东前头第16张。在鹤廼屋乎佐丸学习了狂歌,作为狂歌师而闻名。同时代的画师们也有很多爱好狂歌的人,但是像孔寅这样正式的画师是很少见的。不仅是自己,孔寅的妻子和孩子也吟诵了狂歌,刊登在狂歌集上,在大阪出版的狂歌本上贴了很多插图。晚年,以三条茂佐彦名出版了剧作《劝善惩恶贪着物语》,孔寅自己和孙子孔顺、松川半山画了插图。另一方面,与故乡的关系也在继续,有从秋田屈指可数的豪农庄司家那里收到山水画订单的信(秋田县立近代美术馆藏),现在秋田还残留着很多孔寅的作品。

嘉永2年(1849年)去世,享年85岁。墓是天满西寺町的法轮寺(现在迁移到尼崎市武库之庄)。儿子长山孔直,孙子长山孔顺也是画师。弟子有上田耕冲等,同乡平福穗庵(平福百穗的父亲)也以孔寅的绘画范本努力练习。

作品

作品名技法形状・員数寸法(縦x横cm)所有者年代落款印章備考
群鶏図屏風紙本墨画淡彩二曲一隻131.9×138.8三井記念美術館1801年(寛政13年)正月款記「孔寅」呉春・吉村孝敬、木下応受、土岐済美、松村景文、岡本豊彦、東東洋、山口素絢、橘公遵、山跡鶴嶺、渡辺南岳、奥文鳴、田中訥言、石田友汀ら15名の合作。呉春が親鶏を描き、その庇護のもと孔寅がひよこを描く。
琴士図・岩に草図平野美術館1800-01年(寛政12-13年)注記「京師長山源七郎」『楽翁画帖』のうち。
山水図襖高野山三宝院1805年(文化2年)
梅下遊興図絹本墨画淡彩1幅62.5×150.0秋田県立近代美術館1800年代初期款記「孔寅」「五嶺」朱文長方印
鹿猿図絹本淡彩1幅127×54秋田県立博物館款記「牧斎藤孔寅」「藤原孔寅」白文方印・「藤原士亮」白文方印
山水図絹本著色1幅128×58秋田県立博物館
孔雀図紙本著色1幅156×86秋田県立博物館1817年(文化14年)
松林煮茶之図絹本墨画淡彩1幅104.8×26.7関西大学文学部美学美術史資料室1818年(文政元年)以前款記「孔寅」「孔」「寅」朱文連印村瀬栲亭賛
松図襖12面個人1826-29年(文政9-12年)頃
花鳥図個人款記「孔寅」「孔寅」「士亮」白文連印
観音大士像図個人款記「表具師 牧齋」「藤原」「孔寅」朱文連印呉春が岩上の観音像を描き、孔寅が蓮の描表装を手がける
韓信股潜図佛教大学付属図書館款記「孔寅」「孔寅」「士就(?)」朱白文連印「京洛三十六家 山水花鳥人物図貼交屏風」の1図。京都の商家前川五郎左衛門家伝来
西王母図大阪くらしの今昔館款記「長孔寅」「長山孔寅」朱文方印・「士亮」朱文方印
西王母図絹本著色1幅128.3×55.1ボストン美術館款記「孔寅」
双鹿図絹本墨画淡彩1幅150.2×85.0秋田市立千秋美術館款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
秋草図絹本著色3幅対108.4×34.3(各)秋田市立千秋美術館
孔明出盧図紙本著色1幅147.6×81.5秋田市立千秋美術館
蜀棧道絹本著色1幅147.3×62.0秋田市立千秋美術館
西王母絹本著色1幅121.6×55.1仙北市立角館町平福記念美術館款記「孔寅」仙北市指定文化財
大黒恵比寿図仙北市指定文化財
松図紙本墨画襖4面197.8×116.0似禅寺(吹田市立博物館寄託)款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
虎図屏風個人款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
楊貴妃図個人款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
松林図個人款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
馬図個人款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
Two ducks swimming and one above descending絹本著色1幅120×56.5大英博物館款記「孔寅」「孔寅」朱文方印
花鳥図巻紙本著色3巻春夏巻:29.6×544.7
秋冬巻:29.6×544.1
鳥類巻:29.6×650.9
泉屋博古館款記「長孔寅」「孔寅」朱文方印・「士亮」朱文方印鳥類巻は本来別に制作された。
船遊図個人款記「長孔寅」「孔寅」朱文方印・「士亮」朱文方印
樵夫図堺市博物館款記「孔寅」「孔」「寅」朱文連印長山孔寅筆「扇面画帖」の中の1図
浪花川口真景図大阪歴史博物館款記「孔寅」「孔」「寅」朱文連印
駱駝図個人款記「孔寅」「五」「嶺」朱文楕円印大徳寺の宙寶和尚の賛あり
漁夫図絹本墨画淡彩1幅89.2×30.3大阪大学文学部款記「孔寅」「長山」朱文円印梅軒閑人(黒石藩儒・長崎梅軒)賛「与臨渕羨魚不如 退而結網」(『漢書 董仲舒伝』からの引用)。
木蓮に孔雀図紙本著色1幅170.0×99.0個人款記「孔寅」「長山」朱文円印
牡丹図紙本著色1幅152.3×93.0個人1839年(天保10年)頃款記「孔寅」「長山」朱文円印広瀬旭荘賛
牡丹図堺市博物館1845年(弘化2年)款記「八十一翁 孔寅」「長山」朱文円印「抬顔帖」の中の1図
呑刀曲芸図京都府(京都文化博物館管理)款記「孔寅」「長」朱文円印
松花堂画寄合賛絵巻写紙本墨画淡彩1巻29.0×929.9松花堂美術館
茄子図紙本墨画淡彩1巻29.0×56.2善法律寺
苗龍図衝立1基個人(大阪市立美術館寄託)
米市の図横160cm大阪府立中之島図書館鴻池家伝来した在阪絵師の風物画数十点を巻装した『大阪名所絵巻物』のうちの1図で、web掲載はその前半部分。当時のせり市の活況をよく伝えている[11]
群鶴図屏風紙本墨画淡彩六曲一双169.5×370.8(各)個人「應安麻呂君之嘱臨斗米翁創意添寫艸花以籹點之真虵足耳 長孔寅」依頼者の「安麻呂」とは、『絵本川柳点』(天保13年(1842年刊))を撰した文廼屋安麻呂のことか。款記通り水墨で描かれた米斗翁(伊藤若冲)風の群鶏図に、四条派風の草花図が組み合わされている。
蜀桟道図紙本墨画淡彩1巻31.0×710.2関西大学款記「長孔寅」「孔寅」朱文方印・「士亮」朱文方印
七種草花図紙本墨画淡彩172.3×93.7関西大学款記「孔寅」「長山」朱文円印
山水人物図著色1幅129.1×55.6堺市博物館款記「孔寅」朱文方印
松尾芭蕉図著色1幅105.0×28.7堺市博物館款記「孔寅」朱文円印画面右下に「補杖与笠/孔直」とあり、杖と笠を息子・孔直が補筆している。