岸良(1798年-1852年5月7日)是江户时代后期的画家。出生于京都。旧姓滨谷,名五郎,昌良,字子良,号画云(楼),乘鹤等。和佐伯岸良一起。擅长人物画、花鸟画。岸驹的养子。
经历
虽然画历不太清楚,但据说他年纪轻轻就向岸驹学习了。岸驹的长女贞与岸成结婚并育有一女·春(岸连山妻),但由于岸成英年早逝,所以接了岸良为后婿。侍奉有栖川宫家,自称雅乐助。虽然躲在岸派第二代岸岱的阴影下并不显眼,但画技确实不错,不仅是家传的虎图,南苹果派风格的浓彩写实画也很好。他也完成了皇宫和高野山西门院的工作,与岸岱一起支撑着岸驹去世后的岸派。住在室町四条南。嘉永5年(1852年)逝世。戒名是画云院殿良虎日猛居士。墓地是上京区的本禅寺。
代表作
作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・落款 | 備考 |
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旭に飛鶴図 | 紙本墨画著色 | 二曲一隻 | ギメ東洋美術館 | 1832年 | |||
雲龍・天女図 | 紙本 雲龍図は墨画、天女図は著色 | 2面 | 伏見区・善願寺本堂内陣天井画 | 1846年(弘化3年)頃 | 本堂の花卉図天井画も、中央の1点のみ松村景文だが、それ以外は岸派の作。 | ||
連地図障壁画 | 本禅寺本堂 | ||||||
猿猴倚樹図 | 醍醐寺 | ||||||
布袋図 | 紙本墨画淡彩 | 衝立1基 | 角屋 | ||||
虎渓三笑図ならびに山水図 | 絹本墨画淡彩 | 3幅対 | 中幅:107.8×43.0 左右幅:107.6×43.0 | 宗雲寺 (京丹後市) | 款記:中央幅「雅楽助岸良」右幅「画雲岸良写」左幅「碧堂岸良写」/各幅に「岸良」「士良」白文朱文方連印[2] | ||
須磨明石図屏風 | 富山市佐藤記念美術館 | ||||||
富嶽図 | 紙本金砂子地墨画淡彩 | 六曲一双 | 171.2×375.6 | 石川県立美術館[3] | |||
前田利家桶狭間凱旋図 | 絹本著色 | 1幅 | 100.0×36.0 | 石川県立歴史博物館 | 落款「応需」「雅楽助岸良」/「岸良」白文方印・「士良」朱文方印 | ||
琴棋書画図[4] | 紙本金地著色 | ニ曲一双 | 敦賀市立博物館 | 落款「雅楽助岸良」「岸良」/「乗鶴」朱文長方印・「岸良」「士良」白・朱文割印 | |||
孔雀図屏風[5] | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 敦賀市立博物館 | 落款「雅楽助岸良」/「士良」朱文長方印 |